麻央の死、海老蔵の終わりと初めの会見振り返り

cancer

年表で見る小林麻央の経過【これでスッキリ】

2017.06.25
小林麻央さんが亡くなったのは2017年6月22日のこと。翌日、夫の海老蔵さんは会見を開きました。

会見は23日の午後2時半過ぎに、予定よりも少し遅れてスタートしました。

海老蔵さんが麻央さんの乳がんのことで会見を開くのはこれで2度目。1度目は、麻央さんが乳がんであることを初めて公式に明らかにした、2016年6月9日の会見でした。

海老蔵さんが深刻な面持ちで語る2つの会見。終わりの会見と初めの会見を、ここで振り返ってみましょう。

海老蔵「人生で一番泣いた日です。」

6月23日の早朝、乳がんの闘病生活を送る小林麻央さんの夫・海老蔵さんがブログを投稿。

その内容は、小林麻央さんの死を連想させるものでした。



そこには、

「人生で一番泣いた日です。」と、重い一言が。

そして、

改めてご報告させていただきますので、
近隣の方々のご迷惑になるので
ひとまずおかえりくださいませ、

と続けています。

麻央さんの乳がんが初めて発表された日もそうでしたが、
おそらく海老蔵さんは会見を開くのだと予想されました。

実際、マスコミ各社にはこの日の14時半から会見を開くことが告げられていました。

20617年6月23日、海老蔵の終わりの会見

会見の目的はただ一つ。小林麻央さんが亡くなったことを伝えるためのものでした。
一部を抜粋してみます。

-最期の言葉は?
「息を引き取る瞬間を私は見ていました。その時、これは本当に不思議なんですけど『愛してる』と言って、本当にそれでそのまま旅立ちました」

その前日までは話ができない状態で、最期に奇跡的に言葉を発することができたようです。ふと、1月9日の放送された「市川海老蔵に ござりまする」(日本テレビ)で、海老蔵さんのサポートを続けたいと神に祈ったという麻央さんのエピソードが思い浮かびました。


-自宅で看取ったことについて
「私は病院で父を亡くしているので、病院にいる時とは違いました。家族の中で家族とともに一緒にいられた時間というのは、本当にかけがえのない時間でした」

麻央さんが退院の報告をしたのは2017年5月29日、それから1カ月に満たない期間ではありましたが、麻央さんにとっても家族にとっても特別な時間になったはずです。麻央さんのブログでは亡くなる直前まで、大変さの中にも喜びが表現されていました。それが可能だったのも、家族といっしょに過ごすことができていたからなのかもしれません。

-麻央さんから学んだこと
「マスコミさんのおかげで公になって、ありがたかったと思います。それでブログというものを始めて、何か同じ病の人たちや苦しんでいる方々と悲しみや喜びを分かち合う姿は、私からすると、何か人ではないというか、スゴい人だなっていうか。総合的に教わったこと、今後も教わり続けることは愛なんだと思います」

マスコミの報道をきっかけに、海老蔵さんは麻央さんの乳がんを公表せざるを得ませんでした。当初はそっとしておいてほしいという気持ちが強かったのに、かえって公になって良かったと思えるようになったのは、「癌の陰に隠れない」という決意でブログを始めた麻央さんのその後を知っているからなのでしょう。


2016年6月9日、海老蔵の初めの会見

海老蔵さんが小林麻央さんの乳がんについて会見を開いたのは2016年の6月9日。この時期、海老蔵さんは乳がんのことはできれば秘密にし、そっとしておいてほしいという気持ちが強かったこともあり、質疑応答でも核心的な部分はぼかして話している様子でした。それでも、約1年後に迎えることになる悲しい結末を予感させる、深刻な事態がこの時点で明らかにされていました。

-きっかけは?
「人間ドックを夫婦で行っておりまして、何回か調べた上で、乳がんと分かりました」

海老蔵さんと小林麻央さんが人間ドックを受診したのは2016年2月のこと。このとき「五分五分」の割合で乳がんと疑われましたが、続く再検査では授乳期によく見られるしこり(乳瘤)と判断されて「乳がんが疑われるものではない」という結果に。それから半年以上が経過した10月、小林麻央さんが「パチンコ玉」のようなしこりを自分で発見して検査すると乳がんであることが判明。しかも、脇にも腫瘍(リンパ節転移)があることが分かりました。海老蔵さんの言う、「何回か調べた上で、乳がんと分かりました」にはこうした経緯が含まれていました。


-乳がんのステージは?

「聞いていますけど、そこら辺もどうするのかってことで、深刻だという話でご理解いただきたい。簡単に治らないので、こういうことになっているのだということで」

麻央さんが9月20日のブログで「肺と骨に転移」があることを明かしたことでステージ4と判明しました。はっきりと、「ステージ4」という言葉が語られたのは10月3日のブログの中でした。「簡単に治らないので、こういうことになっている」という海老蔵さんのコメントは事態の深刻さを伝えていますが、この時点でステージ4だと思った人は少なかったのではないでしょうか。実際には、この最初の会見の時点で、麻央さんの乳がんが治癒する見込みはほとんどなかったのです。

-入院してから通院ということだが、入院した際にはしこりを取る手術は?
「そこに至らないので、抗がん剤ということでご理解いただきたい」

海老蔵さんはまだ手術ができていないこと。手術に至るために抗がん剤治療を進めていることを語っています。手術に関してはその後QOL(生活の質)を高めるための局所コントロールというかたちではありますが、2016年9月に実施され、成功しています。

-入院されたのはいつ頃のことで?
「入院はずっとしていまして、つい最近、通院という形が取れまして。ただ、不安定ですので抗がん剤の治療を継続しています」

このとき海老蔵さんが語った入院とは、すでにステージ4となっていたため緩和的な治療を行うためのものだったと思われます。その後、麻央さんはQOLを高める手術の準備をするための入院、骨転移の痛みを和らげるための入院、そして、食べられない、高熱が続くといった症状が続いた最後の入院、というように入退院を繰り返し、最終的には在宅医療に切り替えて6月22日、最期のときを迎えます。2016年6月9日の初めの会見で突如知らされた麻央さんの乳がん。それから約1年後の2017年6月23日、海老蔵の終わりの会見によって、麻央さんの死が告げられました。

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