小林麻央 花咲き乳がんが入院理由?
花咲き乳がんという言葉を知ったのは、小林麻央さんの乳がんとブログに言及したベルーガクリニックHPの記事の中ででした。小林麻央さんの人間ドック受診に始まり、転院、悪化、入院、9月の手術内容等について、「一般論と推測を含む」という留保付きながら、かなり詳しく述べられています。
その中に、小林麻央さんは花咲き乳がんとなって入院し、緩和ケア科の適応となったとありました。花咲乳がんとは、腫瘍が皮膚を突き破って露出する大変ショッキングで、患者さんにとって非常につらい状態のこと。問題はなぜそのような状態になってしまったのかです。
花咲乳がんに至ったのは標準治療を受けなかったから?
当ブログも小林麻央さんの乳がんが悪化してしまった理由について推測してきました。そうした中でどうしても腑に落ちない部分というのがありましたが、前述のクリニックHPはある意味これに全てこたえていました。当ブログの見解と異なるところもありましたが、専門家の意見だけに説得力があります。まず、相違点について確認しておきましょう。
<2014年10月段階の診断について>
・健康ノート
海老蔵さんの6月の会見を受け、「手術適応ではない」点に着目し手術のできないステージ3bまたは3cの局所進行乳癌と推測。その後、人間ドック受診や誤診、癌告知について麻央さんのブログで新事実が明らかになるのを受け、10月の診断時点では手術の可能なステージ2だったと見解を変更。
・クリニックHP
10月の診断時点でステージ3と推測。骨転移の可能性もあったとする。
<乳がん悪化の要因について>
・健康ノート
海老蔵さんの「合う抗がん剤がなかなか見つからない」という会見時のコメントに基づき、抗がん剤が効かなかったためと推測。術前化学療法に悪化の要因を求めた。しかし、これでは腑に落ちないところがあり、抗がん剤治療のスタート自体が遅かった可能性にようやくふれる。
・クリニックHP
小林麻央さんは2014年10月に癌を告知された後、化学療法と外科手術を提案されるがこれを受け入れずに転院。以降は化学療法や手術といった標準治療を受けることなく2016年に花咲き乳がんに悩まされて入院。悪化の要因を非標準治療、または非標準治療を選択したことによる標準治療を受ける機会の損失に求める。
<2016年9月の手術について>
・健康ノート
局所進行乳がんで長らく手術ができなかったが、抗がん剤で腫瘍が縮小し手術に至る。既にステージ4のためタイミングとしては遅く根治手術とはならないものの、麻央さんの重要な治療目的であった手術がようやく成功したととらえる。
・クリニックHP
花咲き乳がんによって組織が腐り、腐敗臭に悩まされていたため手術。抗がん剤の効き目はなくなってきているため、抗がん剤の投与を一時中止して切除できるところだけ切除。腫瘍が縮小して完全に切除できたわけではないので、局所コントロールとは少し違い、余命を短くした可能性さえあるとする。
海老蔵さんが会見で語った「進行性」とは花咲き乳がんのことだった?
小林麻央さんの乳がんは2016年6月に行われた海老蔵さんの会見によって広く知られるようになりました。この会見の中で海老蔵さんはステージこそ明らかにしませんでしたが、「進行性」の乳がんであることにふれています。
進行性は2通りに解釈でき、ひとつは遠隔転移のあるステージ4まで進行した状態。もうひとつは、局所進行で手術ができない状態です。なお当ブログは、海老蔵さんが「手術する方向で進めている」としていることから、手術適用のないステージ4ではなく、腫瘍が縮小すれば手術できるステージ3bまたは3cだと考えました。
さて、前述のクリニックHPの見解に従うなら、このとき海老蔵さんが述べた「進行性」という言葉は端的に「花咲き乳がん」だったことになります。
花咲き乳がんとは、皮膚浸潤を伴う乳がんのことで次のような特徴がります。
・皮膚の表面が赤くなり、ただれができる
・ただれから潰瘍(穴や裂け目ができた状態)に悪化し、ジュクジュクしてくる
・出血や浸出液を伴うのでこれに細菌が感染して悪臭が生じる
クリニックHPの見解にもとづいて、6月の海老蔵さんの会見コメントを解釈すると次のような意味になるでしょう。
「2016年から進行性の乳がん(皮膚浸潤、花咲き乳がん)に悩まされたので入院した。それ以降、抗がん剤治療で腫瘍の縮小を試みてはいるが、合う抗がん剤がなかなか見つからず良かったり良くなかったりを繰り返している。この先も抗がん剤治療をつづけ、進行性の乳がん(皮膚浸潤、花咲き乳がん)を切除する方向で治療を進めたい(そして9月頃にその手術を行う)」
クリニックHPの見解は一般論と推測を含むとされており、絶対に正しいというわけではありません。ただ、告知時点で手術できそうだった乳がんが、どうしてそこまで悪化してしまったのかを無理なく説明する説であり、これにより、6月の海老蔵さんの会見の曖昧だった部分や、9月に行われた手術がどのようなものだったのかについて一貫性のある解釈が可能になるのは確かですね。