今回の入院はあらかじめ「短期的」であることが予告されていましたが、ふたを開けてみれば高熱、炎症、食事ができない、顎への遠隔転移といった問題が次々に現れて入院期間が長期化し、気がついてみれば1カ月が経過していました。
ようやく我が家に帰ることができた麻央さんは、今後は在宅医療に切り替え、点滴などを自宅で行うそうです。点滴に関しては、少し前にポートの埋め込み手術を受けたことが報告されていました。これも在宅医療への切り替えを意識したものだったのでしょう。
一ヶ月ぶりの 我が家の香り。
人参ジュースでお祝いです。
と語る麻央さんは幸福感に包まれていることでしょう。今回の退院がとりわけ精神面において良い影響を与えてくれるのは間違いありません。その一方で、在宅医療に切り替え、今後どのような経過をたどるのかを考えるとき、私たちは終末期のがんの厳しい現実をつきつけられるのです。
在宅医療を意識したポートの埋め込み手術
今回の入院で明らかになった深刻な症状には、
・食べることができない(豆乳ココアを1日かけて飲むレベル)
・高熱が続く(39.6℃、40℃)
がありました。
5月11日には、鎖骨下の血管に点滴用のポートを埋め込んだことを報告。
ポートを埋め込んだ理由は度重なる点滴で腕の血管に限界がきていたこと。そして、「ポートがあれば入れられる濃い栄養の点滴」があるためでした。
食べれないという問題は、今回の入院期間中にも進行して行っているように見え、最も心配な部分でもありました。もし、濃い栄養の点滴といったものがあるなら、食べられない分はそれで補えばよいようにも思えてきます。
麻央さんの言う濃い栄養の点滴とは高カロリー輸液のことでしょう。たとえ口から食事がとれなくても点滴で血液中に直接栄養を補っていれば生命活動に必要はエネルギーが不足することはありません。実際、食べられなくなった高齢者が高カロリー輸液によって何年も生きるという話も聞きます。
ただし、麻央さんは乳がんのステージ4。ただ単に栄養が不足している状態ではないのです。点滴で栄養を補っても意味がない、あるいは有害でさえあるケースもあります。そのことを確認することで、麻央さんの退院が持つ本当の意味、そして、在宅医療を続ける上での究極の選択が明らかになるでしょう。
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麻耶、海老蔵を納得させる点滴
麻央さんがそうであるように、末期がんの患者は次第に食事ができなくなり、やせ細っていきます。これは周囲をとても不安な気持ちにさせます。まだ患者が元気に見えるうちはがんばって食べるように励ましますが、食べることが本当に苦痛なのだということが分かってくると、つらい思いをさせてまで無理に食べさせるのはやめようと思うようになります。姉の麻耶さん、夫の海老蔵さんは既にこの段階に至っているようです。
しかし、無理に食べさせてはいけないということを理解しても、何もしないでいると患者を見殺しにしているような気持ちになります。少しでも患者のためになることをしてあげたいと願うのは自然なことです。そして、「先生、食べられなくなった代わりに、何かできることはありませんか?」と、医師に尋ねることになります。
このとき点滴という選択肢は実際の効果はさておき、患者やその家族を納得させるのに役立ちます。「このまま食べられない状態が続いても点滴をしておけばひとまず安心だ」と思えるからです。実際に点滴を行ってみて、症状が和らぐのならそのまま継続すればよいでしょう。しかし、終末期になると点滴をすることでかえって苦しくなるケースが多くなります。このことをよく知っている医師は、患者や家族の強い希望がなければむやみに点滴をしない方がよいと考えているものです。
問題は本人の強い希望があったとき。終末期の癌患者の緩和治療にあたる医師は次のように述べています。
患者さんに、点滴をこのまま続けるかどうかを尋ねると、「やめたい」という人もいるし、「続ける」と答える人もいます。「続ける」と答えた人は、医学的な理由からだけではなく、点滴をすることが自分の命をつないでいるという心理的な理由からかもしれません。したがって、その希望を断ち切る権利は私たちにはありません。
(参考:ホスピスケアの実際,2000)
麻央さんに対する医療をめぐってもこれと同じような葛藤があったかもしれません。点滴という存在は、食べられなくなっていく患者を目の当たりにしている家族の不安と、「何もしてあげられない」という罪悪感をやわらげます。そして、患者本人にとって最後の希望になっていることがあるのです。
麻央さんが退院するとき、「もうできることがなくなったから退院です」という代わりに、「これで安心して家で過ごせますね。ポートの埋め込み手術をしたので、これからは訪問看護で在宅でも高カロリー輸液の点滴ができますよ…」というように、退院をポジティブに説明できるのは、ポート埋め込み手術のひとつの意義だったかもしれません。
点滴が無意味な理由…悪液質の3段階とは?
終末期の癌患者にとって点滴があまり意味がないのはなぜでしょうか。それは、終末期のがんにおいては食べないことによる栄養不足が問題ではなく、身体が栄養を活用できる状態にないことが問題だからです。もし、食べる体力がない、消化管の消化・吸収機能が低下している、というだけなら、点滴で血中に直接栄養を届けることには意味があります。
しかし、終末期のがんにおいては、栄養が血中に入った後、それが代謝される過程自体に問題が生じています。栄養や水分があっても使うことができないので、使いきれなくなった栄養や水分によってさまざまな不調が引き起こされてしまうのです。例えば、むくみは水分が使いきれなくなったときに生じる代表的な症状です。
このように、終末期の患者に対する水分や栄養の点滴が無意味であるばかりでなく、有害でさえあるということ、こうした認識は比較的新しい知識といえます。少し前までは亡くなる直前まで点滴を続けることが多かったそうです。終末期のがん患者に点滴が良くないということは、「悪液質」の解明にともなって知られるようになりました。
悪液質とは栄養不良によって衰弱している状態を指す言葉で昔からあったものですが、近年この概念は再定義され3つに区分されています。前悪液質→悪液質→不可逆的悪液質→死の順に進行します。
前悪液質
5%以下の体重減少で、食欲不振と代謝異常を伴う
悪液質
口から食べられず、全身炎症を伴う
次のいずれかに当てはまる
・5%以上の体重減少
・体重減少が2%を上回り、BMIが20を下回る
・体重減少が2%を上回り、サルコペニアが認められる不可逆的悪液質
がん悪液質のさまざまな状態
異化状態かつ治療抵抗性
PSの低下
生命予後が3カ月を下回る
(参考:終末期がん患者の輸液療法に関するガイドライン)
悪液質はどのような治療を施しても治癒することはないため、代謝異常はともなうものの炎症が軽度な前悪液質の段階で適切な栄養サポートを行い、悪液質の進展を遅らせることが重要だと考えられています。反対に、すでに進展している場合には、炎症の度合いや、治療に反応しない程度を考慮して栄養投与を減らしていくことが苦痛の緩和につながるとされています。
悪液質の3つのステージの内、麻央さんがどの段階であるかによって治療方針は異なってくるでしょう。もし、食欲不振が続いていても前悪液質の段階にとどまっているのなら、重点的な栄養サポートが大切になります。高カロリー輸液を行うことにも大きな意味があります。
しかし、こればかりは確かめようがありませんが、麻央さんのブログの内容を通じて受ける印象としては、すでに前悪液質の段階は通り過ぎて、悪液質か場合によっては不可逆的悪液質の段階にあるのかもしれません。もしそうなら、これからは栄養を増やすことではなく減らすことが課題になってくるでしょう。
終末期の医療は、尿毒症か肺水腫かの二者択一
終末期のがん患者にとって、点滴は心理的な希望となり得る反面、医学的には有害となりかねないことを確認しました。有害とわかっていながら点滴を行い続けるとどうなるのでしょうか。
この点については、「終末期癌患者に対する輸液治療のガイドライン」の編纂に携わった医師のインタビューがありましたので参考にすることにします。
点滴量が多いと肺の負担が大きくなり、最終的には肺水腫になる。肺水腫とは、肺が水浸しの状態。「全身もむくみ、呼吸もゼコゼコと苦しくなります。俗に『丘で溺死』とも呼ばれるものです」
(参考:がんナビ「必要な点滴、害のある点滴とは?」)
かといって、点滴量が少ないと尿毒症という別の問題が生じてしまいます。
「尿が濃くなり、だんだん、出なくなります。そして、ウトウトと眠ることが増え、眠る時間が長くなっていき、最後が訪れます。苦しむことはなく、また、目が覚めているときには、普通に話をすることもできます」
(参考:同上)
このようにして終末期のがん医療においては、腎臓を守るか(点滴が必要になり肺水腫のリスクがある)肺を守るか(点滴を控えることで尿が濃くなり尿毒症のリスクがある)の二者択一になる傾向があるといいます。
問題は、肺水腫と尿毒症のどちらがましかです。この点、記事では尿毒症の方が苦痛緩和の観点ではよいとしているようです。尿毒症は「自然の麻酔」ともいわれており、人の体に備わった苦しみを回避するうまいシステムなのだそうです。
退院そして在宅へ…麻央の真の動機は?
現在、小林麻央さんは乳がんのステージ4、それも終末期に入っているように見えます。この段階では治癒のための治療を行わないのは当然であり、いかにしてQOL(生活の質)を向上させるかだけが問題になります。QOL向上で最初に考慮すべきは苦痛からの解放でしょう。その意味では、麻央さんに点滴は行わない方が本当はよいといえるかもしれません。しかし、難しいのは、一方においてQOLが苦痛の増減だけの問題ではなく、その人の生き方と深く結びついている点です。ひとことでいうと、本人が納得していることが非常に重要になってきます。例えば、たとえ現実的な苦痛は増大するとしても、その方が本人が納得できるならそれが正解となるのです。
日本緩和医療学会はQOLを向上させる要因について、誰もが望むものと、人によって望むか望まないかが異なるものに分けています。
共通して望む10要因
・望んだ場所で過ごす
・苦痛がない
・希望がある
・負担にならない
・自分のことが自分でできる
・ひととして尊重される
・人生を全うしたと感じられる
・家族といい関係でいる
・医師・看護師といい関係でいる
・落ち着いた環境である
これらは誰もが望むものなので、どれも当然と思える要因ばかりです。次はどうでしょうか。
人によって異なる8要因
・役割を果たせる
・感謝して準備ができる
・自尊心がある
・残された時間を知り準備する
・信仰を持つ
・自然なかたちでなくなる
・死を意識しない
・納得するまでがんとたたかう
これは人によって望むか望まないかが異なる要因なので、両立できないものも含まれています。例えば、「自然なかたちでなくなる」と「納得するまでがんとたたかう」は相反する考え方です。麻央さんの場合はどうなのでしょうか。
40℃の高熱を報告した5月11日のブログでは次のように述べています。
苦しいことのなかにも
ひとつ ふたつと
安らぎの瞬間があるから
まだ闘えます!
この発言から、麻央さんは「納得するまでがんとたたかう」という価値観が強いことが見て取れます。
そして、5月13日のブログでは、マッサージを続けてくれる姉・麻耶さんへの感謝が語られています。人によって異なる要因の内の「感謝して準備ができる」をとても大切にしているのでしょう。
できることが少なくなっていく自分が
怖くなってしまい、
「こんなふうに色々
手伝ってもらわないといけなくて、
家に帰ったら帰ったで
みんなが大変になっちゃうね。」
これは、自分が退院することで家族の負担が増えてしまうことを心配した麻央さんの発言。共通して望む要因の中の「負担にならない」に該当するものですが、姉・麻耶さんが「生きててくれるだけで いいんだよ。」と優しく答えたことで麻央さんはずいぶん救われたに違いありません。
さて、私たちは「ポートがあれば入れられる濃い栄養の点滴」について、終末期という段階においてはその効力に疑問符がつくことを確認しました。しかし、ポートを埋め込み点滴しやすい状態にすることの意味は医学的観点だけでなく、患者本人とその家族の心理的観点からも考えなければならないでしょう。
ポート埋め込み手術を終えて退院することは、少なくとも次の要因によって麻央さんのQOL(生活の質)を向上させるでしょう。
・望んだ場所で過ごす
・家族といい関係でいる
・希望がある
・負担にならない
・納得するまでがんとたたかう
終末期のがんともなれば、この中の「負担にならない」という要望については諦めなくてはならない点も多いでしょう。しかし、ポートを埋め込めば訪問看護を受けたときに点滴しやすくなりますし、入浴などの介護も容易になります。また、点滴が痛くて苦しんでいる姿を見せないことも家族にとっては大きな負担軽減になるはずです。
問題は、この中の「納得するまでがんとたたかう」をどの程度まで進めてよいかではないでしょうか。例えば、高カロリー輸液の点滴を続けることは、何もせずに栄養投与を減らすことに比べて「がんと闘っている」といえるでしょう。しかし、むくみが生じ、肺が水浸しになるかもしれないのにこれを続けることは本当なら避けたいところです。そうしたとき、どういう選択をしたら良いのか? 本人の納得もあるので事態は複雑です。
・腎臓を守るか、肺を守るか、
・がんと闘うか、自然になくなるか
・点滴をするか、しないか
これは、退院した後の麻央さんとその家族が、いずれ直面するかもしれない究極の選択となり得るものです。
このように、今回は退院できたからひと安心といえる状況とは言い難いかもしれません。
しかし、麻央さん自身も
やはり
我が家は 最高の場所です。
と述べているように、QOL(生活の質)にとって非常に重要な「望んだ場所で過ごす」が実現しました。麻央さんが幸福を感じながら過ごせる時間が増えることはとても良いこと。何はともあれ今はお祝いのときです。何千何万という人たちが「退院おめでとう!」と、祝福の言葉を送っていることでしょう。