麻央とオプシーボ│免疫療法頼みで手術拒む可能性は?

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2017年6月22日に乳がんのため亡くなった小林麻央さんについて、週刊女性が新たな事実を報道しました。

その内容は、免疫療法の最新治療として知られるオプシーボに関するもの。免疫療法といえば、再発した乳がんに対して一部が先進医療になっているものの、標準治療としては認められていません。

麻央さんが受けた非標準治療としては、かねてより温浴療法や気功などが報じられていましたが、ここに免疫療法が加わったかたちです。気になるのは手術との関係ではないでしょうか。

ノーベル賞受賞の本庶佑教授にがん細胞送る

週刊女性はある歌舞伎関係者の話として次のような内容を伝えています。

亡くなる1年前、主治医を通して本庶佑教授にがん細胞を送り、特別な抗がん剤を作ってほしいとお願いした。

本庶佑教授の研究は、森喜朗元首相もそれで肺がんを改善した免疫治療薬「オプシーボ」に生かされた。麻央さん、または夫の海老蔵さんはノーベル賞受賞前に本庶佑教授の業績に注目し、助を求めたものと思われます。

「特別な抗がん剤」というのは、麻央さんのためだけに作られたオーダーメードの抗がん剤ということでしょうか。だとすれば、抗がん剤を個人のために開発することは考えられないため、実現の見通しは限りなくゼロに等しかったでしょう。それでも依頼せざるを得ないというのは、「わずかでも可能性があれば何でもやる」という追い込まれた状況だったのかもしれません。

では、それは何時頃のことでしょうか。

麻央さんが免疫療法を求めたタイミングとは

報道によれば、麻央さんが免疫療法を依頼したいのは亡くなる1年前とのこと。ちょうど2016年の6月頃ということになるでしょうか。

なお乳がんを隠して生活していた麻央さんが、乳がん公表に踏み切ったのは週刊誌によって報道されたのがきっかけでした。海老蔵さんが初めて会見を行ったのは2016年6月9日のことでした。

この会見で海老蔵さんは、長く入院していたが最近になって通院できるようになった、といった主旨の発言をしています。麻央さんが亡くなる1年前という情報が正確なものなら、少し状況が良くなり始めた頃にがん細胞を送り、特別な抗がん剤を依頼したことになるでしょう。

しかし、「亡くなる1年間」というのは幅のある表現です。厳密に1年前だとは限りません。このことを踏まて、がん細胞を送ったタイミングについて3つの可能性を考えてみましょう 。

可能性1 まだ治癒が見込める時期

麻央さんの乳がんが判明したとき、当時の主治医からは手術が提案されています。それは2014年10月頃のことです。少なくともこの時期であれば手術による治癒の可能性があったと推測されます。では、いつごろまで治癒の可能性があったのかというと、2016年春頃は症状が重く、とても手術ができる状態ではなかったわけですから、最長でも2015年年末頃まででしょう。

麻央さんががん細胞を送ったとされるのは「亡くなる1年前」なので、治癒のために手術をするかしないかを選択する時期は過ぎていることになります。

可能性2 最も症状が重い時期

特別な抗がん剤を作ってもらいたいという動機が最も強くなるのは、厳しい症状に悩まされていた時期でしょう。海老蔵さんの証言によれば2016年春頃がそれに当てはまります。ただ、このタイミングは「亡くなる1年前」という証言と比べて、少し早すぎるかもしれません。

可能性3 QOL手術の前後、治癒を期待していた時期

麻央さんは2016年10月頃にそれまで行えなかった手術を成功させています。この時期か、あるいは手術できる見通しが出てきたもう少し前に免疫治療にアプローチしたとも考えられます。その場合、最も厳しい時期というよりも、「このまま良くなってほしい」という明るい未来が見えてきた時期ということになります。

以上の内、可能性1は否定されます。考えられるのは可能性2か可能性3、またはその中間です。

まとめ

麻央さんと免疫治療薬「オプシーボ」の関係が報道されたことで、「また非標準治療の新事実か!」と思われた方もいるかもしれません。しかし、依頼タイミングを考察してみると、手術をするかしないかが問題となる時期よりもずっと後の出来事であることが分かります。

麻央さんが免疫療法頼みで手術を拒んだ可能性はゼロです。

麻央さんが免疫療法に希望を見出したのは既に治癒を期待できないステージ4に進行した後のことだったのです。

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