2017年6月22日に死去した小林麻央さん。そのショッキングなニュースに、あらためていったいどのような治療経過をたどったのか知りたいと感じた人も多いことでしょう。
小林麻央さんの乳がん発見のきっかけは2014年2月に受けた人間ドックでした。その後、2年以上に渡り、麻央さんの乳がんは家族と近親者のみの秘密でしたが、マスコミに報道されたことで海老蔵さんが最初の会見を開いたのは2016年6月9日のこと。
同年9月には麻央さんがブログを開設し、その動向に日本中が注目しました。一進一退の闘病は続き、年をまたいでおよそ半年後、ブログの更新は2017年6月20日の「オレンジジュース」でストップ。2日後の22日に麻央さんは帰らぬ人となり、6月23日の会見で海老蔵さんは麻央さんの最期について語りました。
海老蔵さんの1回目の会見から約1年間、さらには乳がん発見から数えると3年間以上の間、麻央さんに何が起きていたのか治療経過の全体像を把握するのはなかなか困難です。そこで年表を作ることにしました。
小林麻央の治療経過 2014年~2017年【年表】
≪2014年≫
2月 人間ドックで乳がんの疑い
(誤診疑惑浮上)
10月 乳がん発見→がん告知
≪2015年≫
1月~12月 この間の動向は不明
(非標準治療説浮上 ※週刊新潮の「気功」説浮上)
≪2016年≫
春頃 病状が悪く入院は確実、緩和治療を受ける
(花咲乳がん説浮上)
6月頃 病状が安定し通院が可能に
(海老蔵が会見で証言)
6月9日 海老蔵1回目の会見開く
8月頃~9月 入院中(局所コントロールの手術のため)
9月1日 「なりたい自分になる 」でブログ開始
9月下旬 局所コントロールの手術成功
10月初旬 手術を終えて退院
10月3日 ベルーガクリニックHPで麻央さんの影響に言及
「小林麻央さんの乳がん報道について(当院患者さんへ)」
11月 「新しいアプローチ」として温浴療法、放射線治療を実施
12月下旬 入院(12/20ブログで入院中と告知)
酵素風呂を導入
≪2017年≫
1月9日 「市川海老蔵に ござりまする」(日本テレビ)にインタビュー映像流れる
1月中旬 痛みを取るための放射線治療実施
1月29日 退院
4月19日 ブログで「10歩歩くのもやっと」と告白
4月22日 入院
何度も高熱が出る(退院後も継続)
5月11日 ポートの埋め込み手術を告白
5月26日 顎への転移を告白
5月29日 退院
6月3日 食欲の回復伝える
6月5日 足のむくみを告白(6/16にも足の写真掲載)
6月11日 口内炎を告白
6月17日 薬の量を調整し穏やかな時間を過ごす
6月20日 最後のブログ「オレンジジュース」更新
6月22日 小林麻央死去
6月23日 海老蔵2回目の会見開く
6月26日 「小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~」(日本テレビ)放送
6月29日 週刊新潮が切除手術を拒否して気功を選んだとする記事を掲載
小林麻央の治療経過を整理するには?
麻央さんの治療経過は簡単な表にしただけでもかなりのボリュームになります。全体像を把握するにはもう少し整理が必要です。次のように各治療期を分類することを提案します。
乳がん発見期(2014年2月~10月)
小林麻央さんが夫・海老蔵さんと人間ドックを受け、偶然に乳がんの可能性に気づきます。医師の診断は「五分五分」。しかし、別の病院で受けた再検査では問題なしとされ、結局、麻央さんは10月になってから子供と遊んでいる最中に胸のしこりに自分で気が付きます。病院で生検を受け、乳がんであることが確定しました。2014年は人間ドックにはじまり生検に終わる、乳がん発見の時期といえるでしょう。
動向不明期(2014年11月~2016年初春)
この時期については麻央さんも海老蔵さんも語っていません。しかし、ベルーガクリニックHPに投稿された「小林麻央さんの乳がん報道について(当院患者さんへ)」では、非標準療法の選択によって悪化した可能性が示されています。さらに、麻央さんの死から1週間後に発売された週刊新潮によれば、麻央さんと海老蔵さんは気功に傾倒して手術を拒んだとされています。
緩和治療期(2016年春~6月頃)
この時期についての情報も少なく、海老蔵さんがわずかに語っているのみです。「夏まではもたない」と海老蔵さんが思っていたというほど深刻な状態でした。なお、ベルーガクリニックの見解によれば、乳がんが皮膚を突き破る「花咲乳がん」となってようやく病院を受診し、緩和的な治療を受けたとしています。
手術成功&幸福期(2016年9月~11月)
麻央さんがブログを開設した直後の時期です。当初は入院しているという事実が読者を心配させましたが、後にこの入院はQOL(生活の質)を向上させる手術を行うためのものであることが分かりました。手術は成功し、おそらくは原発巣(乳腺)の腫瘍は一時的に切除されました。手術後は闘病期間中もっとも希望にあふれていた時期で、小さなトラブルはあるものの麻央さんは「奇跡を起こす」と、治癒をあきらめていませんでした。
入退院期(2016年12月~2017年5月末)
手術後の幸福な時期は長くは続かず、11月中旬になると痛みを訴えるようになります。主に骨転移の強烈な痛みが原因で12月下旬に入院、その後、痛みの緩和が上手くいき1月29日に退院。1カ月ほどの短い入院となりました。しかし、退院から2カ月半ほどで再び不調が襲い、4月22日に「短期間の予定で」入院します。入院期間中は40℃近い高熱が出たり落ち着いたりを繰り返し、また、食事ができないという、末期がん患者特有の悪液質の様相を呈します。当初の見込みよりも長い1カ月強の入院期間となりました。この最後の入院期間中には、在宅治療を視野に入れ、高カロリー輸液や薬剤を入れられるポートの埋め込み手術を行っています。
在宅医療期(2017年5月末~6月22日)
5月29日の退院から1カ月弱の間、麻央さんは家族に囲まれ念願の自宅で過ごします。もちろん足のむくみや口内炎などの苦痛の訴えはあるものの、その度合いは最後の入院直前の時期に比べて低減している印象を与え、退院後のブログ更新は実に21回を数えるほど活発でした。しかし、6月20日の「オレンジジュース」と題する投稿最後に、麻央さんの病状は急変し集まった家族のもとで22日に息を引き取ります。
入院(4回)の性質の違いが経過を表している
要するに、麻央さんはどのような経過をたどったと言えるのでしょうか。この問に答えるには、麻央さんの計4回におよぶ入院期間のそれぞれの性質の違いに注目するとよいでしょう。
入院①「絶望」(2016年春~初夏)
2015年の動向不明期にはおそらく標準治療を行っていません(非標準治療を行うかもしくは積極的な治療を行っていないかのいずれか)。その結果、乳腺の腫瘍が増悪し、耐え難い症状が出たために入院を余儀なくされます。ベルーガクリニックの見解では、乳がんが皮膚を突き破って露出する花咲乳がんとのことでした。海老蔵も「夏までもたない」と考えていた程深刻な状況で、花咲乳がんというのが本当なら、治療期間中で最も陰惨な光景だったことでしょう。この入院は「絶望」によって特徴づけられています。
入院②「希望」(2016年夏~10月初旬)
9月1日に麻央さんがブログを始めたことで私たちの知るところとなった入院がこれです。9月下旬に手術を成功させており、これによって一時的なものかもしれませんが胸の腫瘍は切除されました。退院後もしばらくは良好な時期が続き、麻央さんは新しいアプローチとして温浴療法や放射線治療をはじめています。統計が示す可能性は極めて低いものの、この時期の麻央さんはステージ4からの奇跡的な治癒を目指していました。この入院は「希望」によって特徴づけられています。
入院③「苦痛」(2016年12月下旬~2017年1月29日)
2016年の年末から麻央さんの苦痛の訴えがエスカレートしていきます。苦痛の度合いという点では、最期を迎えた在宅医療の時期よりもこの時の方が大きいと思えるほどです。苦痛の主な要因は骨転移による背中の痛みでした。この時期の麻央さんは最も苦痛を感じていた時期と思われますが、それは死が差し迫っていることとイコールではありませんでした。苦痛は大きいものの、生きるための活動力は失われていないからです。この入院は「苦痛」によって特徴づけられています。
入院④「終末」(2017年4月22日~5月29日)
この最後の入院は「歩けない」ところから始まっています。つまり、生きるための活動力そのものの低下が見て取れます。入院期間中に何度も取り上げられた話題に「高熱」と「食べられない」があります。これは苦痛のように、それを取り除けば解決するという問題ではありません。全身状態の悪化に伴う症状だからです。高熱の原因は感染または腫瘍熱が考えられます。腫瘍熱というのは、全身の腫瘍のボリュームが増すことで生じる癌特有の熱のことです。また、食べられないという症状は末期がんに共通して見られるもので、全身の炎症によって引き起こされる悪液質という代謝異常によるものです。このことをもって最後の入院はひとつ前の入院とは異なる水準のものであることが分かります。痛みという局所的な問題は、炎症という全身的問題にシフトし、いよいよ本当の意味での終末期に入っていきます。この入院は「終末」によって特徴づけられています。
このようにして入院期間の各々を特徴づけると、麻央さんは絶望→希望→苦痛→終末の経過をたどったと見ることができます。ところで10月の手術成功時点のベルーガクリニックの見解では、12月までは難しいとしていました。これは終末の訪れを半年以上早く予想していたことになります。実際には、麻央さんには希望の時期があり、それに続く苦痛の時期を経て終末期に入ります。最期は家族に囲まれ、夫・海老蔵さんへの愛の言葉を残してこの世を去りました。