麻央さんのブログの読者であれば、これまでに麻央さんの強さをいたるところに感じてきたことでしょう。ただ、その強さは一種独特の強さであり、どのような強さなのかをひとことで表すのはなかなか難しく、にもかかわらず直観が伝えるところでは、それは、置かれた状況によっては危うくもある諸刃の剣のような強さのような気がしてならないのです。ここではキレイごとではない、麻央さんのリアルな強さを見てみましょう。
小林麻央「生き続ける意志」の強さ
人に限らず、生命であれば自らの命を失うまいと努めるのは当然です。それは誰もが持っている本能といえます。麻央さんの場合、どんなときでもそれを持ち続けられること、「私はここまでなんだ…」と諦めたりしないという点は特筆すべきです。
麻央さんの乳がんが海老蔵さんの会見によって明らかになった2016年6月の段階で、麻央さんの乳がんは既にステージ4でした。ステージ4というのは遠隔転移を伴い、治癒を見込めない段階です。
それでも麻央さんはこう言います。
私はステージ4だって
治したいです!!!遠慮している暇なんて
ありません!!
(2016年10月3「心の声」より )
この発言があった時期はちょうどQOL(生活の質)のための手術が成功して間もない時期でした。全闘病生活中で最も希望に満ちた時期であることを考えると、こうした言葉が出てきても不思議はないのかもしれません。
しかし、状況がずっと悪くなったときでも基本姿勢は変わっていないのです。
子供達がまだ小さいので
その両方を、
同時に担っていかなければならない
家族の大変さ、
主人にはそこに仕事があるので、
なおさらです。家族は皆、「大丈夫だよ」と
笑顔でいてくれますが、これからどうなっていくのか
不安はつのります。どうなったって生きるしかないので、
本当に、ごめんね、ありがとう、
です。
(2017年6月4日「不安」より)
これは在宅医療に移ってからの言葉です。死を迎える日まで20日を切った段階です。ここで麻央さんは「ごめんね」といいます。家族を残して自分が旅立ってしまうことをごめんねと言っているのではありません。「生きるしかないので」ごめんね、と。ここでいうごめんねとは、自分が病気のせいで家族が大変な思いをしていることは承知している、それでも自分はどうなったって生きるしかない、だからこのままずっと迷惑をかけ続けるけど仕方ないので甘えさせていただきます、といった意味でしょう。
この段階に至って、ふてぶてしいとさえ思える生の確信は、なるほど「強い」という他ないでしょう。
小林麻央の楽天的な強さ
麻央さんはどんな状況におかれても悲観したりしません。乳がん検診で陽性かもしれないと言われたら、誰でも心臓が飛び出るくらい動揺するはずです。たとえ、「可能性は低い」と言われても、可能性がゼロではないなんて怖い……と思うくらいが普通です。
ところが麻央さんの場合、「可能性は五分五分」と言われたときでも、
こんなふうに考えていました。
私は癌ではない方の50%だ!という
根拠のない自信がありました。
(9月7日「2 50% 」より)
そして、いよいよ95%の確率で乳がんだと言われても、
結果をみたら、
残りの5%だったということもあるはず。
そうだ!
そうだ!
脇のしこりだって、
何か菌が入ったのかも!
きっと、そうに違いない!
(9月19日「14 ポジティブに 」より)
このように麻央さんには楽天的な強さがあります。
夫・海老蔵に対する小林麻央の強さ
麻央さんと海老蔵さんの夫婦はどのような関係に見えるでしょうか。一般的には麻央さんは品行方正な女性で、海老蔵さんは若い頃やんちゃもした型破りな男性、といったイメージかも知れません。
麻央さんは1月9日に放送された「市川海老蔵にござりまする」(日本テレビ)のインタビューの中で、夫・海老蔵さんのサポートを続けさせてほしいと神に祈ったと語っていました。こんなところからも、ぐいぐいと引っ張っていく夫につき従うタイプの女性だろうかとの連想も働きます。
ところが麻央さん・海老蔵さん夫婦において主導権が海老蔵さん側にあるかというとそうでもないのです。
QOL(生活の質)のための手術から約2カ月後、ちょうど不調が顕在化してきた時期に麻央さんと海老蔵さんは今後の治療を含め真剣に話合ったといいます。
そのとき、
娘が
私のところへやってきて、
耳元で
「パパに何も言わないで。
パパはママのこと
愛してるんだから」と。
真剣すぎる空気に、
娘からの心遣い。。。
(2016年11月27日「家族のかたち」より)
このエピソードから連想されるのは、厳しい口調で海老蔵さんを責め立てる麻央さんの姿ではないでしょうか。子どもの目には、「パパがいじめられている」ように見えたのかもしれません。だから、「パパに何も言わないで」と囁いたのでしょう。
ひとつ言えるのは、麻央さんは海老蔵さんにただ従っているような女性ではないということ。対等に渡り合い、ときには一歩も引かずに主張を通すこともある、そういう強さのある女性なのだということ。
ところで世間では、麻央さんの乳がんは誤診のせいでステージ4に進行してしまったと思われています。しかし、実際には2014年10月の乳がん告知時点では切除可能でした。女性セブン(2016年7月28日号)の報道によれば、切らないと決めたのは麻央さん、海老蔵さん、家族が話し合って出した結論だったといいます。仮にこれが事実だとして、この家族の話合いを主導したのが海老蔵さんや他の身内(姉や母)だというイメージはどうしても湧いてきません。
麻央さんの持つ独特の強さは、こういうときに人の判断にただ従うようなことはないと思えるのです。もし、乳がんの告知にうろたえて、「五分五分」と言われたときには必ず悪い方に考えてしまうような悲観的な人、周りに救いを求め、身近な人の助言に従順に従うだけの人だったら違った選択をしていたでしょう。そしてそれは乳がんに対する関わり方としては必ずしも悪いものではありません。強さが常に正しく、弱さが常に間違っているわけではない。麻央さんの強さが置かれた状況によっては危ういと言ったのはそのような意味です。
ここで見たのは、お茶の間でテレビを通じて安心して見られる「立派な女性の強さ」とは異なる、人間小林麻央のリアルな強さ。良いとか、悪いとかではなく、その人がそうあった通りに理解することもまた故人の追悼だと思えるのです。