小林麻央ブログに見る「元の自分」からの決別
元気になったら
元の自分や生活に戻れるのだから
それまでは、
誰にも知らせず、心配をかけず、
見つからず、、、と思ってきました。
(9月1日「なりたい自分になる 」より)
これはブログを始める前の自分自身をふりかえっての言葉。病気であることを誰にも知られず、治ってから元通りの生活に戻れるのだからそれまでの我慢だと考えていました。
でも、これだと良くなるまでずっと隠れ続けなければならない。良くならなければいつまでたっても戻れない。
メディアにスクープされたという状況をきっかけとしてはいるものの、小林麻央さんは単に元の自分、乳がんではない健康な頃の自分に戻るという発想を捨て、別の方向に向かいました。
それは「なりたい自分」。
恐らくこれは、乳がんが治った自分という意味ではないでしょう。むしろ、乳がんのままで何かを成し遂げる自分というニュアンスが感じられますね。
小林麻央ブログに見る 恐怖心の超越
姉は、日々私の感情に寄り添い、
私以上に感じてしまっていることを知った。そんな姉をみて
つい笑ってしまう心の余裕が
今の私にはあるのだ
(9月5日「姉」より)
姉といっしょに治療についての説明を聞いたとき、姉の方が怖がってしまったというエピソード。がんの治療ですから、痛みや不安はあって当然。治療そのものへの恐怖もあるでしょうし、果たして治療がうまくいくのかという結果に対する恐怖もあるはず。
それなのに、隣でおびえている姉を冷静に見て、まるで「そんなに動揺しなくてもいいのに」というように笑ってしまう。病気がもたらすであろう結末をとっくに受け入れているから生まれる余裕なのではないでしょうか。
小林麻央ブログに見る 周囲の反応の変化
病気になってから
がんばらなくてよいよ
それはもういいよ
って言われることが増えた。
(9月15日「がんばる がんばらない」より)
これまでできていた仕事も病気になればできなくなる。
周囲も気を使って無理をさせないように配慮します。
小林麻央さんは「がんばらなくてよいよ」と言われるのはさみしいようです。
ところでがん治療に関して、「がんばらなくてよいよ」「それはもういいよ」といえば治癒の断念を意味します。残された時間を穏やかに過ごしてほしいという空気が周囲にあるのだろうか、そんな連想も働きます。
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小林麻央ブログに見る 達観
あの時の自分と今の自分では、
湧き出る感情ひとつ受け取り方も違います。
(9月17日「念のため笑」より)
乳がんの告知を受けたとき止まらなかった涙。しかし、今ではもうそのような悲しみは感じないといいます。病気が治っていないことに変わりはなくても、物の見方がすっかり変わっているようです。
小林麻央ブログに見る 暗示
見上げた空が
どんより曇っていてもいいんだ
と、思えています。
(9月18日「空」より)
この日のブログには曇り空の写真が掲載されています。
しかし、「晴れだったらよかったのに!」というはなしではありません。
これまであまり空なんて見ていなかったことにふれ、
曇り空でもいいんじゃないかと結んでいます。
もし、これが国語の試験なら、
ここに作者の心情が投影されているとして、
「次の中からふさわしいものを選びなさい」と問われるでしょう。
そして、選択肢はきっとこんな具合です。
◎病気を治すことがすべてじゃない。
◎仮に好ましいものでなくても、自分の病気に目を向けていきたい。
◎病気のままの自分でも、周りにはこれまで気づけなった素敵なことが沢山ある。
小林麻央ブログに見る 過去形
力強く人生を歩んだ女性でありたいから
子供たちにとって強い母でありたいから
(9月1日「なりたい自分になる 」より)
再び初日のブログから。ブログを始めようと思った動機について語っているところ。やはり気にかけているのは子供たちのことですね。それにしても「力強く人生を歩んだ女性」という言い方は、まるでその人の人生が既に終わってしまっているかのよう。結末を知っていて、そのゴールから振り返っているような視点。
余命を受け入れて人生の総仕上げにかかっている……そんなニュアンスを受け取ってしまうのは想像力の働かせすぎでしょうか。