格闘家として活躍した山本KID徳郁さんの死因は胃がん。
KIDはまだ41歳だったこともあって周囲からは「早すぎる」「若すぎる」と悲しむ声がたくさん聴かれました。
それと同時に一部ですが、KIDの全身に入れられたタトゥーとがんを結びつける俗説も見られます。
がんを発症する要因には遺伝、環境、ストレス、食事、何らかの炎症、そして免疫力低下につながる全てのものを挙げることができます。その意味ではタトゥーも絶対に影響がないとはいえないものの主要な要因とはならないのではないでしょうか。
仮に、がんの発症と結びつけるのであれば、長年格闘家として活動する中で体を酷使してきたこと。とくに普通の人が行わないようなハードトレーニングや厳しい減量の方が影響は大きいはず。
若干41歳での早すぎる死を目の当たりにして、同世代の男性は自分も他人事ではないと死の可能性を考えたことでしょう。また、同世代のパートナーを持つ女性も不安を感じているでしょう。
そこでここでは、
- ハードトレーニングと発がんの関係
- 厳しい減量(特に糖質制限)と発がんの関係
- 同世代がKIDのように胃がんで亡くなる割合
- 一般的な社会人が注意すべき発がんリスク
について見ていきましょう。
ハードトレーニングと発がんの関係
がん細胞は血液中を移動する非常に微細な大きさから、数センチ単位のがんになるまで時間をかけて成長します。微細な段階のがん細胞自体は日々無数に発生しますが、ほとんどは免疫の働きによって破壊されます。免疫によってがん細胞がすべて破壊されている限りはがんを発症することはありません。
微細な段階で破壊されず成長を続けたがん細胞が胃、肺、肝臓、大腸といった臓器に増殖するとがんを発症します。最初は粘膜の表層にできる初期のがんはやがて筋層に達し、リンパ節や他の臓器に転移する、というように進行していきます。
このようなプロセスを見ると、微細な段階のがん細胞を免疫によって破壊することがいかに大切かがわかります。免疫力が低下すると風邪を引きやすくなりますが、それだけではなく、微細ながん細胞を十分に攻撃できなくなる心配があります。
一般の人よりも免疫力が低いアスリート
日々鍛錬を続けているアスリートは健康的で丈夫な体をしていると考えられがちですが、こと免疫力に関しては一般の人よりも低いケースが少なくありません。
次の2種類の体力のバランスが問題になります。
- 行動体力…筋力や心肺機能といった運動のパフォーマンスにかかわる体力
- 防衛体力…疲労やストレスに対抗し、病原体などから体を守る体力
アスリートが一般の人よりも優れているのは行動体力です。防衛体力については日々のハードトレーニングによって低下していることがあります。
ハードな運動によって筋肉が傷つくと炎症が生じます。痛みや腫れを伴う炎症は体がもっている防衛反応です。しかし、筋肉が傷ついているのが当たり前になると毎回炎症が生じていては不都合なので、体は免疫反応のレベルを落とすことで、炎症を起きにくくします。つまり、日常的にハードトレーニングをしていると、免疫力が低い状態が続くということです。
アスリートにとって最も大切なことは競技で成果を出すこと。これを実現するために、防衛体力を犠牲にしながら、一般の人が到達しえないレベルまで行動体力を引き上げているといえます。なおフルマラソンを走ると5~7割の人に風邪の症状が出るといわれています。ハードな運動は免疫力を下げます。屈強な体つきでも病気がち、といった現象は起こるべくして起こるのです。
厳しい減量(特に糖質制限)と発がんの関係
格闘技に限らず階級制のスポーツは体重を増やさないために過酷な減量を行います。KIDが行っていた総合格闘技(MMA)という競技は階級制です。ボクシングでもそうですが、1キロ未満の差であっても打撃の応酬で軽いと不利になります。
特に総合格闘技の選手は、計量の日はぎりぎりまで体重を落としておいて、その後、試合直前までの間に体重を数キロ単位で増やすテクニックを用います。体重を大きく変える要素は水、塩分、そして糖質です。
筋肉や脂肪の量は同じでも、塩分をカットして体の中の水分を減らせば体重は落ちます。また糖質は、筋肉中にグリコーゲンとして蓄えられるときに数倍の水を引き込む性質があります。糖質をカットすることは水分を取り込まないことにつながります。反対に、極端に水と糖質を制限した後、今度は段階的に水と糖質を体に入れることで、短時間で体重を増やすことができるというわけです。
こうした体重のコントロールは計量をパスするためだけのテクニック。ダイエットでは避けたいリバウンドをわざわざ起こしているようなものなので一般の人が行う機会はないでしょう。当然、健康にもよくありません。
KIDが糖質制限による減量を頻繁に行っていたかどうかは不明ですが、ここではもし行っていたらとするなら、どういったリスクがあるのかを見てみましょう。
本当にケトン体があれば大丈夫なのか
糖質制限を行うと、ふらふらする、力が入らない、やる気が出ないといった症状が出ることがあります。これは主に脳のエネルギー不足が原因。糖質は脳のエネルギー源です。不足すれば、脳の働きがにぶくなります。
しかし、これは糖質制限を始めてまだ数日の段階での話。多少のふらふらを我慢しながら糖質制限をさらに継続すると、体はケトン体をエネルギー源とするように体質を変化させます。糖ではなく脂質をもとにするケトン体は脳のエネルギーにもなります。糖質制限を推奨する人は「ケトン体があるから糖質は無くても大丈夫」と考えます。なお、がん細胞は糖質を主なエネルギー源としているため、糖質制限によってがん細胞を兵糧攻めにできるという考え方があります。
ただ免疫の観点からは大きな問題があります。脳や筋肉はケトン体をエネルギー源にできるかもしれませんが、NK細胞(ナチュラルキラー細胞)はケトン体をエネルギー源にできません。NK細胞は白血球に含まれ、がん細胞を攻撃する強い働きを持った細胞のことです。
糖質制限をすると、確かにがん細胞は兵糧攻めに合いますが、NK細胞も一緒に兵糧攻めに合ってしまいます。がん細胞を攻撃してくれる頼もしい味方まで一緒に弱体化してしまいます。これでは、かえってがん細胞に増殖する機会を与えることにもなりかねません。
現時点では、がんに対する糖質制限の有効性には賛否両論があり、どちらが正しいかははっきりとは答えられません。ただ糖質が枯渇した状態ではNK細胞の働きが鈍るということは頭に入れておいた方がいいでしょう。
タンパク質から作られるアルブミンも免疫に不可欠
タンパク質と免疫の関係についてもふれておきましょう。
がんが進行すると血液中のアルブミンが低下する低アルブミン血症になることがあります。アルブミンは血漿タンパクの大部分を占めています。血液の赤血球を沈殿させた残りを血漿といい、血漿に溶け込んだタンパク質が血漿タンパクです。がん細胞は血漿タンパクを大量消費し、アルブミンが減少してしまうのです。
このアルブミン、NK細胞の重要なエネルギー源でもあります。アルブミンが少なくなるとNK細胞の活力も低下してがん細胞を攻撃する力も弱まってしまいます。アルブミンを作るにはタンパク質が必要です。
タンパク質は筋肉を作る材料です。アスリートが非常に重視する栄養素なので、タンパク質をわざわざカットするケースは糖質に比べればかなり少ないでしょう。例外として、どうしても体重が落ちないときに最後の手段としてタンパク質も減らすというケースが考えられます。タンパク質の摂取を減らしてハードな運動をすると筋肉を失います。それに加えて、免疫力も低下する可能性があります。
参考:「がん治療における糖質制限」(リンパ球バンク株式会社)
同世代がKIDのように胃がんで亡くなる割合
次にKIDと同世代の男性がかかえるリスクについて見てみましょう。
KIDは41歳でしたので、がん登録・統計※の年齢区分では40~44歳に該当し、この区分には485万4,270人が属しています。
そして、この内127人の方が胃がんで亡くなっています。
割合にすると、
0.00261%
10万人に2人程度であることが分かります。
※2016年のデータになります(以下、同じ)
前後の年代との比較
41歳で亡くなるのは若すぎだといわれますが、一方で、がんは40歳から急激に増えるという話もよく耳にします。
実際に前後10歳差の年齢区分がどうなっているのか見てみましょう。
- 30~34歳…0.00086%(31人/357万8,557人)
- 50~54歳…0.01153%(452人/391万9,357人)
確かに40代前半という年代は、30代前半に比べて胃がんで亡くなる割合は高くなっています。
しかし、下の世代との差よりも、上の世代の差はもっと大きくなります。50代前半の場合と比べれば、40代前半での胃がんでの死亡はやはり稀だということが数字からも分かります。
女性の場合は?
女性の場合はどうなのでしょうか。
- 30~34歳…0.00121%(42人/345万6,437人)
- 40~44歳…0.00272%(128人/469万6,300人)
- 50~54歳…0.00662%(256人/386万3,254人)
40代前半の数字は男性の場合と似ています。しかし、50代前半になっても男性の場合ほどには胃がんで亡くなる人の割合が高くならないことが分かります。
KIDのように40代前半で胃がんで亡くなる人は10万人に2人程度と、非常に稀。ですからこうした可能性に怯える必要がないことがわかります。しかし、胃がんに限らず、できるだけがんを発症しない生活習慣を身につけることは有益です。また、40代という若さでなくても、それが50代であれ60代であれ、がんにならない方がよいに決まっています。
一般の男性がKIDのようにハードトレーニングや厳しい減量を行うことはないでしょう。社会人であれば身近なリスクが別のところにあります。
参考:がん情報サービス
一般的な社会人男性が注意すべき発がんリスク
40~69歳の男女約10万人を対象に、1990年~2012年まで追跡調査した国立研究開発法人国立がん研究センターの研究があります。自覚されているストレスの度合いを6段階に分類し、がんの発症との関連を調べたものです。
これによると、ストレスレベルが高いグループは、常にストレスレベルが低いグループに比べ発がんリスクが11%上昇したそうです。そして、ストレスの影響は女性よりも男性で顕著だったそうです。
男性の方がストレスと発がんの関連性が強い理由は、
- 男性の方が高いストレスを受けている
- ストレスレベルの高い男性は喫煙、飲酒などの生活習慣を持つ
が考えられます。
いかがでしたでしょうか。40代の若さで胃がんによって亡くなる割合は非常に低いことがわかりました。とはいうものの、それが何歳であれがんを発症するリスクは低いにこしたことはありません。
俗説といて語られているタトゥーの影響に比べれば、ハードトレーニングや減量の影響の方がまだ大きいのではないでしょうか。さらに現実的な見方をするなら、一般的な男性の場合、ストレスレベルの高さや、それにともなう生活習慣の影響の方がさらに大きいといえるでしょう。