小林麻央 「生きる」テーマで連続更新
小林麻央さんは11月3日と4日、「生きる」をテーマにブログを更新しました。
3日のブログでは、「生きたい。」「もっともっと思い出をつくりたい。」としたうえで、こう語っています。
どうしたら、その願いが叶えられるか、
どこに方法が隠されているのだろう。隠されてなんかいないのに、
気づけないだけだろうか。普通の方法で叶えられるのなら
奇跡とは言わないですものね。
11月3日「疲れる」より
続く4日は、寄せられたメッセージについてのコメント。
「生きたい」ではなく「生きる」と
思って下さいという言葉を見て、
心が晴れました。「生きたい」のではなく、
「生きる!」のでした。
11月3日「生きる」より
哲学的ともいえる「生きる」というテーマがここにきて前面に出てきたのはなぜでしょうか。
おそらく、それは小林麻央さんのがん患者としての立ち位置から来るものだと思われます。
美白ケアの4つの欲求…これで自分に必要なコスメが分かる!
小林麻央 手術の達成、痛みの緩和、そしてその先は……
哲学はもともと古代ギリシャの貴族たちによる思索でした。労働から解放された一部の人が「生きる」とか、「善」とか、「美」とか、「徳」とかについてありあまる時間を使って考えたのでした。
小林麻央さんが生きるというテーマに思いを巡らすのも、一面においては余裕のなせるわざなのかもしれません。
少し前までは入院生活でした。退院して子どもの運動会に行くという目標もありました。
抗がん剤の副作用に悩まされ、すこしでも解消しようと工夫をしました。
そして、難しいとされていた手術を医師の英断もあってなんとか達成し、退院へとこぎつけました。
現在の小林麻央さんは症状は落ち着いているようです。抗がん剤も中断しており副作用に苦しむこともなくなっているかもしれません。症状としてのがんの苦しみや、手術が成功するかどうかの不安からは解放されているのでしょう。
そして、ゆっくり考える余裕が生まれると、否応なしに根本的な問題に向き合うほかなくなります。
「この先、何をすれば良いのか……」
小林麻央も逃れられないがん難民の定義とは?
言うまでものなく小林麻央さんはセレブです。ステージ4では通常行われないQOLのための手術を行ったり、真偽のほどは定かではありませんが高額な治療を受けたとのうわさもあります。そして、ブログを始めれば閲覧数で日本のトップに躍り出る……。小林麻央さんががん患者として特殊な立場なのは確かです。
しかし、がん患者に共通の問題から自由なのかというと、そういうわけでもありません。華やかなセレブのイメージとはかけはなれているかも知れませんが、小林麻央さんも「がん難民」の1人である可能性があるのです。
キャンサーフリートピアHPは、がん難民を次のように定義しています。
「治療方針に悩んだり、治療をしてくれる医師や病院を探し求めて、途方に暮れながら彷徨っているがん患者さんたち」
そして、がん難民に至るには4つのパターンがあるとしています。
小林麻央はどのような意味で「がん難民」なのか
がん難民に至る4つのパターンは次の通り。
1.標準治療ではもうやれることはないと見捨てられがん難民へ
2.標準治療で、心身ともにボロボロになりがん難民へ
3.ドクターハラスメントで傷つき、医師・病院のもとを飛び出てがん難民へ
4.情報に溺れて、なにから手を付けていいか分からずがん難民へ
小林麻央さんはステージ4です。痛みの緩和を図る治療が上手くいっているようで、現在は大きな症状は出ていないようです。しかし、症状が和らいだからといって次の進展があるわけではありません。ステージ4は治癒を目指した治療の対象ではないからです。治療を続ける気力も体力もあるのに、肝心の治療手段がない。現在のがん治療のスタンダードではステージ4になると、1.にあるように「もうやれることはない」となってしまいます。これが、がん難民が生まれる最大の理由であり、小林麻央さんも例外ではありません。
2.は抗がん剤で標準治療はこりごりというケースなので小林麻央さんは当てはまらないでしょう。
3.については、誤診を疑われる状況はありましたが、それはハラスメントではありません。ただ、「病院のもとを飛び出て」ということはあったかもしれません。
4.については少し補足が必要でしょう。「情報に溺れて」の具体例には次のものがあります。
・「抗癌剤で殺される」という本を読んだら、抗癌剤を受けたくなくなった。
・「手術」という方法をとるか「放射線+抗癌剤」をとるか調べれば調べるほどわからなくなった。
小林麻央さんが抗がん剤を避けたのかどうか、手術か放射線のどちらを取るか迷ったかどうかは分かりません。この部分はこれまで語られていない、がん告知後の空白部分に該当するからです。
つまり、小林麻央さんは根本的には1.の意味で、部分的には3.の意味で、そして、疑惑にとどまってはいるものの4.の意味で「がん難民」と言えるのです。