「こんなに食べられるんだ……どうして?」
と、状況を整理するのに時間がかかったという人もいるかもしれません。というのも入院中のブログでは「食べられない」という問題が何度もクローズアップされていたからです。
5月22日の「朝食」というブログでは病院での食事の内容が同様に写真付きで紹介されていますが、そのメニューは三分粥を中心にスープとペースト状のもの、豆腐のような軟らかいものに限られています。6月3日のブログはこれと比較すると、全般に軟らかく調理されてはいるものの、ペースト状ではない野菜を使った料理が何種類も紹介されていました。つまり、固形物を食べることができているということです。
入院中のブログでは、豆乳ココアを1日かけて飲むなど水分摂取も容易ではないと語られていたことを考えると、この急激な回復ぶりは驚くばかりです。
本当にこの短期間での
食べられるバリエーション、量が
増えたことは、家に戻れたことによる、喜び、安心感、
気合い、
そして何よりも、こうやってサポートしてくれる家族、いつも応援して下さる皆様のおかげです。
確かに長期化してしまった入院生活からようやく自宅に帰れた精神的な充実は非常に大きいものだったのでしょう。しかし、気持ちの問題だけで困難な状況があっさりと解決するものでしょうか。終末期のがんに本当にそんな魔法のようなことが起きるのだろうか、とどうしても疑問がわいてきてしまうのです。
入院中の食事と、退院後の食事のどちらかが不正確である可能性は?
入院中の食事内容を知る人にとっては、退院後の食事内容の改善はあまりにも突然でした。
入院中にあれだけ食べられなかったのに、退院したとたんに食べられるようになる……確かに夢のような話ではありますが、これをそのまま受け入れることは論理的ではないような気がするのです。
論理的であるためには、
・入院中の食事の内容が正確ではない(本当はブログで表現されているよりも食べられる状態だった)
・退院後の食事の内容が正確ではない(食欲が戻ってきたというのは主観的な印象で、実際にはほんの少し口にするだけ)
のいずれかでなければならないでしょう。
もし、入院中の食事内容が正確で、なおかつ退院後の食事内容も正確なのだとすれば、その背景には語られていない何かがあるはずです。麻央さんが言うように「喜び」「安心感」「気合い」だけではない、何か別の理由が……。
末期がんの苦痛緩和に用いられるステロイドとは
ここからは実際には麻央さんが語っていない内容になります。従って憶測の域を出ないものであることをご了承ください。
末期がんの苦痛を緩和する薬といえばモルヒネなどの医療用麻薬が有名ですが、ステロイドも苦痛緩和に役立つ薬として使用されています。免疫抑制作用のあるステロイドには、倦怠感、吐き気、食欲不振、呼吸困難、浮腫といった末期がんに現れる幅広い症状を鎮める働きがあります。
しかし、このような末期がんの苦痛を緩和する目的でのステロイドの使用は予後1~2カ月の人に対してのみ行われます。なぜなら長期使用した場合に重い副作用が不可避だからです。
ステロイドは免疫の働きを抑えることで炎症反応を起きにくくさせます。末期がんの食欲不振の原因となる悪液質は体内で作られる炎症性サイトカインの働きによるものです。ステロイドによって免疫の働きが抑えられれば炎症性サイトカインに対する体の反応も抑えられ、悪液質の症状の緩和につながります。しかし、免疫の働きが弱まれば感染症にかかりやすいなどの別の問題が浮上します。
ステロイドの使用が予後1~2カ月の人に限られている理由は、それ以上の予後が期待される人に用いた場合、ステロイドを使用したことによる副作用により、デメリットがメリットを上回るからです。予後1~2カ月の人であれば、ステロイドの副作用が出るころには他界されていることが予想されるため、ステロイドによるデメリットはあまり考慮しなくてもよいことになります。
60%以上に食欲増加作用があるステロイド
「聖隷三方原病院症状緩和ガイド」にはステロイドの使用について次のように記されています。
・予測される予後が1~2カ月と限られていること
・60%以上の患者で有意な食欲増加作用がある
・効果は短期効果で2~6週間しか持続しない
ここで注目すべきは食欲増加作用が非常に高いということです。2~6週間しか効果は持続しませんが、もともとそれ以上の予後を期待できない人にとっては、残された時間をできるだけ苦痛が少なく、活動的に過ごす上で有効な治療になります。
重要な点は、麻央さんはステロイドについてふれていないということ。語っていないのだから実際には使っていない可能性が高いとは思います。しかし一方で、全ての経過がブログで語られるわけではないのも事実です。仮にステロイドを使用しているとすれば、それは医師が麻央さんの予後を1~2カ月以内と判断したことを意味するでしょう。
さて、私たちは入院中に語られた食事内容と退院後の食事内容とに違和感を感じたのをきっかけに考察を始めました。考えられる可能性としては、ひとつには、入院中の食事内容または退院後の食事内容のどちらかが不正確であったケース。つまり、入院中はブログで語られるほど食べられなかったわけではなかった、あるいは、退院後の現在、ブログで語られるほど食べられているわけではない、のいずれかということになります。
そして、もうひとつの可能性が実際には語られていないステロイドの使用です。仮にステロイドが使われていれば、入院中の食事内容と退院後の食事内容は何ら矛盾するものではありません。ステロイドには高い食欲増加作用があるため、入院中にほとんど食事ができていなくても、退院後に(ステロイドを使用したことにより)食欲が回復することは十分にありえるからです。
もちろん最も幸福な結論は、実際には入院中にもある程度食事ができており、退院後に自宅で過ごす安心感からさらに食欲が増した、というストーリーであることは言うまでもないでしょう。