いい人すぎて、ある意味怖い小林麻央
麻央ちゃんはいい人すぎる。あまりにも立派に生きている。
それにしても気になるのは、ブログにしばしば登場する許す、許されないといった自問自答です。
許す許さないといえば、「あのとき見逃した医者のことだな!!」とついつい考えてしまいそうになりますが、
どうやら麻央ちゃんが許すとか、許さないとか問題にしているのは自分自身のことのようです。
この感性は非常に特殊なものです。
許すとか、許されないとかが問題になるには、まず、咎(とが)められていなければなりません。
麻央ちゃんを咎める人なんていないがずなのに、
不思議なことに、麻央ちゃんは常にとがめられていなければならないかのようです。
小林麻央の心を支配する「許す許さない」問題
おや? と最初に思ったのは痛み止めを飲んだエピソードが語られたときでした。
それまで痛み止めは拒んでいたけれど、いよいよ限界に達して痛み止めを使ったとき、
「許されたと感じた」というのです。
これ、おかしいですよね?
許すとか関係ないじゃないですか?
おそらく世の中には2種類のタイプの人がいて、
一方は、理不尽な目にあったとき、「なんで私がこんな目に?」と、被害者的ポジショニングをする人。
そして、もう一方は同じ目にあったときに、「私の何が原因だったんだろう? 何の罰を受けているのだろう?」と罪人的ポジショニングをする人。
麻央ちゃんは乳がんに対し、罪人の立場に自分を置いているようです。
この思考の癖はいたるところに見受けられ、
痛み止めを使う使わないといったシリアスなテーマの中だけでなく、日常のなにげない場面にも顔を出します。
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「許す許さない」のバリエーション「甘える甘えない」問題
ある日、朝食にフレンチトーストが出たとき、食事療法のことは気にせずに、シロップをかけておいしく食べたそうです。
ここには、決して完璧主義ではない、麻央ちゃんのおおらかな一面が見られ、ほほえましいエピソードのようにも感じます。
そして、この発言です。
甘ちゃん、最高!!
わたし、今日は最高!!って、自分を大いに許して言います。
(9月22日「喜び」より)
一見するとすごくポジティブなようではあります。しかし、私には戦慄が走りました。
なぜなら、もうお気づきかもしれませんが、許るす許さない問題が出てきているではありませんか!!!
フレンチトーストだからかわいいニュアンスになっているだけで、
本質的には、がんの激痛に耐えて耐えて、限界になってようやく薬を使ったときと同じとらえ方、同じ強迫観念、同じ無意識の欲動に支配されていることが分かります。
考えてもみれば、フレンチトーストひとつ食べるのに許しが必要になるのもおかしな話なのです。
真にポジティブな人は、それが許すとか許さないとかが問題になる行動だとはこれっぽっちも考えません。
「大いに許す」という表現はかえって、ほんのささいなことに許しを与えるのにも大きな努力が必要になることを示しているかのようです。
がんになりやすい性格 「タイプC」が疑われる
ここで少し話題をかえましょう。その人の性格と罹りやすい病気には相関関係があるという説についてです。例えば、せっかちな人や、いつも顔を真っ赤にして怒っている人は心筋梗塞でぽっくりいきそうなイメージがありますよね。アメリカ人医師のフリードマンとローゼンマンによると、こういう人は「タイプA」なのだそうです。
これに対して、リラックスできて人付き合いもうまく、自分の感情を素直に伝えられる人は「タイプB」。素直で、人付き合いも上手な麻央ちゃんはタイプAよりは、タイプBに近い気がします。
しかし、問題なのは「タイプC」の存在です(『がん性格 タイプC症候群』L・テモショック、H・ドレイア)。
タイプCに該当するのは、
・怒りを表さない、怒りの感情に無自覚
・恐れ、不安、悲しみなどのネガティブな感情を表さない
・仕事上の付き合いや家族関係を大切にして、控えめで忍耐強く譲歩しがち
・極端に自己犠牲的で自分の要求を満たさず、他人の要求を満たす
といった性格の人。
ここに挙げられた傾向は、悪性黒色腫(皮膚がん)の患者150人以上を面接して発見されたもので、当てはまるとがんになりやすいのだといいます。皆さんの目には、麻央ちゃんはどのタイプに見えるでしょうか。
究極の許しに向かってしまうのか
さて、ブログの話に戻りましょう。
がんの告知を受けたときの反応がまた独特です。
「癌になるくらいの身体だったんだ」と
思ったとき、
その間の自分を初めて分かってあげられて、受け入れられて、
どこか、ほっとしたのだった。
(9月22日「17 たられば は無し」より)
がんの告知を受けて、ほっとする……。通常では考えられない発想ではありますが、今の私たちにはなんとなく分かるのではないでしょうか。
がんの告知を受けるまでの1年半あまりの日々はとてもつらかったのだそうです。
そして、麻央ちゃんにとって、つらいということは(それがなぜなのかは分かりませんが)、
自分自身が咎められるべきであることを意味します。
ところが、がんであったのならば、その咎めに対してもう十分に報いを受けていることになります。
だから、ほっとしたのではないでしょうか。
がんになることによって、つらい思いをしてきた自分をようやく許せたのです。
この人はこんなふうにして、不安やつらさを表に出さず、笑顔の陰で自分を追い詰めて追い詰めて、それで体を悪くして。悪くなったことでちょっと前の自分を許すのです。では、今現在の自分はいつになったら許されるのでしょうか。
ごめんね。病気になっちゃった妻で。病気になっちゃった娘で。病気になっちゃった妹で。
(9月23日「18 家族からの着信」より)
「これで許される」、と。